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劇団四季「コーラスライン」2015年10月29日観劇メモ

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劇団四季「コーラスライン」2015年10月29日の観劇感想です。

2002年から劇団四季観劇をしていますが、一時期ちゃんと記録をしていなくて、「コーラスライン」の2013年東京公演を観たかどうかはっきりしません。2013年のキャストを見ると「この人のこの役は観ていない」という感じがするので多分観ていません。
とすると、今回が2011年以来4年ぶりの観劇になります。

あおなみ
あおなみ
メモ程度でも、なにか記録は残しておかないとダメね

今回は自由劇場での公演で、休憩なしノンストップの緊張感と、ヘッドマイクなし・男性はメイクなし、の「素」の感じが、自由劇場の適度に小さな空間にマッチしていますよね。

以下、感想はネタばれですので、ご注意ください。
※過去に書いておいた観劇メモを再編集して掲載しました。

劇団四季「コーラスライン」2015年10月29日のキャスト

ザック 荒川 務 ビビ 大橋美絵
ラリー 高橋伊久磨 ジュディ 川井美奈子
ダン 中村 巌 リチー 深堀拓也
マギー 西田ゆりあ アル 川口雄二
マイク 上川一哉 クリスティン 古田しおり
コニー 高野 唯 ヴァル 三平果歩
グレッグ 安東 翼 マーク 山本 道
キャシー 井上佳奈 ポール 斎藤洋一郎
シーラ 恒川 愛 ディアナ 朴悠那
ボビー 丹下博喜
アンサンブル(ファーストライン)
フランク 塚田健人 ビッキー 柴本優澄美
ロイ カイサー タティク ロイス 田原真綾
トム 田邊祐真 トリシア 中村彩乃
ブッチ 松下湧貴

劇団四季「コーラスライン」2015年10月29日の観劇感想

「コーラスライン」は、1970年代、NYブロードウェイの、ある新作ミュージカルの「コーラス」のオーディションが作品の舞台です。

私は日本のプロダクションでダンサーを「コーラス」とは呼ぶのを聞いたことがないのですが、
それは、私が見ているほとんどの作品が「コーラスライン」後に作られたもので、ミュージカル俳優は、歌って踊って演技する三位一体が当たり前になってからの作品だから、ということもあるみたい。

かつては舞台のセンターで歌ったり芝居をしたりするスターと、スターを引き立てるコーラス、という分け方をしていたようです。

今の劇団四季の舞台の「アンサンブル」と、コーラス、とは似ているようで違う、と思います。

それはさておき、

舞台は、ある新作のコーラスオーディションの1シーンで幕を開けます。
ジャズコンビネーション、バレエの審査で、まず7人が落とされます。
(ここで落とされるキャストは「ファーストライン」と呼ばれ、たいていはその年の研究生や即戦力オーディションで入った人たちが初舞台として出演していますね。自分の出番の後は、袖で誘導などをしているそうです。)

残った17人に、演出家のザックが告げます。

「履歴書と写真は見た。次は君たち自身のことを話してほしい」

なにか指示されたことをする、と思っていたダンサー達はとまどいますが、左端にいるマイクから順に、家庭環境、ダンスを始めた理由、コンプレックスなどを語り始めます。

実は、私、今回の公演を観るまで、「コーラスライン」そんなに思い入れている作品ではなかったのです。

その理由は、70年代アメリカの話なので、登場人物が抱えている問題が中途半端に遠いからだと思っていました。
私の年代では、70年代はそんなに遠い時代のことではなく、ちょっとダサい「昭和」のイメージと重なって、古くさく感じてしまうのかなと。

『クレイジー・フォー・ユー』は1930年代アメリカの話ですが、そこまで昔だともう、ファンタジーと同じですから、むしろそういう違和感はありません。

でも今回の「コーラスライン」は、時代の違いは、全く気になりませんでした。
なんでボビーはダンスオーディションでセーター着ているんだ?とは思いますが(笑)。

それぞれの登場人物の具体的な設定(家庭的に恵まれなかったり、人種問題、性的マイノリティであることなど)は、自分にはほとんど共通項はないけれど、その芯にあるものはまっすぐ伝わってきました。

例えば、グレッグは、男性だし、境遇もセクシャリティも、まるで自分とは重なるところがないんだけれど、
彼自身が「乗り越えている」と思っているからこそ、オープンになり切れないのかな、と感じられるところがあって、そういうところに共感を覚えます。

ザックがダンサー達に求めているのは「素のままの自分を見せること」。

舞台の演出としても、出演者は、女性は体のラインがすべて出るレオタード、男性はメイクなしの素顔で舞台に立ちます。
セットはほとんどなく、舞台のバックの鏡が、ある時は角度を変えて様々な角度から出演者の姿を映します。
出演者は、演じる役としてだけではなく、俳優としての自分自身をさらけ出していることになります。

その何も隠せるものがない感覚が、観る立場からも痛いくらいです。

そうか、「痛い」んだ、「コーラスライン」は。

自分のことを語れ、と言われ、格好をつけてしまったり、格好悪かったり。恥ずかしい思い出や、失敗したこと。
登場人物のありようを創作の中のことと突き放して眺めていられない、自分に跳ね返ってくる居心地の悪さ、痛さ。

終盤、ポールがケガでオーディションを離脱したことをきっかけにザックがみんなに問いかけます。

「もし踊れなくなったらどうする?」「もし今日この仕事を辞めなければならなくなったらどうする?」

演じているひとりひとりが、考えていないはずはないことを、今、舞台の上で問いかけられている生々しさ。

ダンサーや俳優でなくても、誰にでも、どんなに心血注いで愛しているもの(取り組んでいること、人)ともいつか必ず別れるときが来ます。
たとえ今日そうなったとしても「愛した日々に悔いはない」と言い切れるか、と、観客も迫られているんだな。

今回は、キャラクター同士のリレーションもとてもわかりやすかったです。

ボビーとシーラはとても仲が良く見えますが、その二人だけではなく、

30~30代前半の、ボビー、シーラ、キャシー、グレッグ、コニーは一緒に仕事をしたこともあり、オーディション会場でも何度も顔を合わせ、同じスタジオでレッスンをすることもある同志であり、ライバルなんだろうと思えます。

過去公演では、ザックは年配の大物プロデューサーみたいに思ってしまっていましたが、本当は彼もわりとキャシーたちと近い年齢なのでしょう。

丹下さんのボビーは、強がりがちなシーラをよくフォローしていて、
自分が合格し、去っていくシーラに手を伸ばした時の表情に、彼女のことを思う気持ちと自分にとってはとにかくよかった、という複雑な思いが感じ取れました。

ボビーは、ただ変わり者なのではなくて、すごく繊細な人。
茶化して語っているけれど、親にスポーツが苦手な自分を認めてもらえないことでは傷ついていたでしょうし。

過去、映画を含めて「コーラスライン」を観たとき、ザックは新しいことを求めている一方で、やっぱりコーラスを下に見ているように思えて、他人のことずけずけ聞いて結局何がしたいの?、とイラっとする面もあったのですが(ディアナに「仕事が欲しくないのか?」と言うのなんか、採用する側の立場をかさにきて、と思ってしまうんですよね・・・)

ザック自身の、コーラスを抜けて今の位置まで来たという自負と常に高みを目指さなければならないという焦りなのかなあ。

ただ、荒川さんのザックは、オーディション受験者たちの話に、共感したり驚いたりしている感じがちゃんと伝わってきて、嫌な印象はあまりなかったです。

自分は、今回の観劇で、この作品に初めてちゃんと出会えた気がしました。
従来の公演と、演出が大きく変わったところはないので、何が違うのかはよくわからないけれど、キャスティングも大きいかなあ。
役者さんが作品に出会わせてくれることってありますよね。

おまけ

今回、過去に書いた観劇メモを再編集していて、たった3年前だけれど、もう3年前なんだな、と思いました。

振り返ると、マイク役のような、「男の子」という役で上川さんを観る最後のチャンスだった気がしますね。
昨年、『キャッツ』ラム・タム・タガー役で観たときに、わあすごく大人っぽくなったなあ、と思い、今年の「恋に落ちたシェイクスピア」ウィル役は、子どもっぽいところもあるけれどはっきり大人の男性役ですから。
この公演中、ポール役もやっていらっしゃいましたが、残念ながらポールでは観ていません。

このときの公演で、最初の数分で落とされてしまう役だった人たちが、2018年現在、他作品で活躍されているのは嬉しいですね。

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