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劇団四季『エビータ』’19年8月29日川崎公演 観劇感想(浅利慶太追悼全国公演)

エビータ観劇感想
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2019年8月29日の、劇団四季『エビータ』川崎公演(カルッツかわさき)の観劇感想をまとめました。

『エビータ』の上演自体が7年ぶりなんですが、
私自身が観劇したのは2006年か7年なので、作品全体を舞台をで観たのは10年以上間が空いてます。

楽曲が『ソングアンドダンスシリーズ』でもよく使われているので、
なんとなく記憶が上書きされて、そんなに間が空いた気がしませんが、
やはり、10年の時間は確実に経過しており、

洗練された

というのが一番の印象でした。

史実に基づいた作品でストーリーはわりと知られているのではないかと思いますが、
感想はネタバレであることをお断りしておきます。

また、観劇感想はあくまでも私が感じたことなので、
もし、今これを読んでいるのが一度も劇団四季の『エビータ』を観たことがなくで、2019年度全国公演で観劇予定があるのであれば、
このページを離れて、読まないまま観劇していただいた方がいいんじゃないかと思います。

劇団四季『エビータ』浅利慶太追悼公演(川崎)観劇感想

主人公が共感できるかというとイエスではないんだけれど、
心を動かされた、という意味での感動はすごくあった、という複雑な気持ちです。

魅力的、でも共感できないヒロイン

この物語のヒロインでありタイトルロールのエビータは、
実在したアルゼンチン大統領夫人、エバ・ペロンをモデルにしています。

昔のことを現在の価値観で測ってはいけないのでしょうが、
私、舞台での彼女の生き様にはそんなに共感できないんです。

舞台の構成自体が、観客がダイレクトにエビータに自分の思いを投影するのではなく、
狂言回しのチェを通して、俯瞰してみるような視点で作られているためもあると思います。

踏み台になった男たちも、聖母と崇めた貧民たちも、
エビータから得られる実利以外に惹きつけられる魅力があったことは理解できます。

(エバの最初の踏み台、色男だけれどしてやられるマガルディ役の高橋さん最高でした!)

実際、アルゼンチンで、エビータは今も絶大な人気があるようです。

アルゼンチンのマッチョ社会の中で、男を手玉にとって国の中枢にのし上がるエビータの姿はある種のカタルシスがあるし、
野心むき出しに突き進む姿は輝いてさえ見えます。
でもこれを「自立した女性の輝き」とポジティブにとらえていいのかは、常に疑問がつきまとうんですよね。

史実でもアルゼンチンで女性参政権が実現したのはペロン政権下で、女性を政治的組織に組み込んだのはエビータの貢献という評価はあるそう。

彼女が政治上行ったこと全部が悪かったわけではないのですが、やっぱりポピュリズムでバラマキだよなあ。

時代も国も違うけれど、
今の日本の、数字や情報を精査する素養もなく生活者感覚やらで議員になって、
「弱者に寄り添う」といってトンデモ情報を拡散して、
支持者ともどもカルトめいた存在になっている政治家が、なんか重なってしまう。

そういう人が政治に入ってきてしまうのは、個人の問題である以上に、
社会のシステムの問題が大きいんですけれどね・・・

鳥原さんエビータのモチベーションの大半は野心とルサンチマンで、
「国のため」はゼロとは言わないけどおおよそは方便だったのが、
それが途中から自分こそが国を思っているのだと思い込んでしまったのではないかな、という印象。
思い込みでも、自分の祖国に対してぶっこわすとか〇ね、とかいうよりははるかにいいですが。

Twitterでもちらっとそんな感想を見ましたが
鳥原ゆきみさんが演じるエビータはなにかの条件が少しだけ違ったら、こういう人生じゃなかったかもしれない、とも思わせました。

美人で評判の定食屋のおかみさんになって、弱気な旦那の尻を叩きながらも、まあまあ幸せ、って人生があったような。

でも、結局「あたしの人生はこんなじゃない」って旦那を捨てて駆け落ちしそうな気もします(笑)。

弱気、といえば、
佐野さんのペロン大佐が意外に気が弱く、ああこりゃ完全にエビータのまきぞい食らったなあ、と気の毒だけれどおかしかったです。

「エリートのゲーム」の、最後の座り方がかわいい
この感じは、ペロンが特別に力で秀でていたのはなく、
ほんのちょっとのタイミングの差とある種のズルで椅子を取ったということなんでしょうね。
(北澤さんだとどういう表情なのか、観てみたい)

人としての限界と弱さ

終盤「エビータとチェのワルツ」で、

か弱い私に本当に世の中を変えることなんてできない、貧しい人たちにいっとき幸せな夢を見せて何が悪いの?
というエビータ。

もっと未来を見ろ、というチェに、
エビータは「100年かけて理想を追求しなさいよ。カッコいいじゃない」と言い放ちます。

実はこの場面が一番心を動かされました。

この物語の外の時間になりますが、アルゼンチンを出たゲバラはキューバで革命を成就するけれど、それもプラスの面だけじゃないし、最後は殺されます。

あおなみ
あおなみ
世の中というものに人ひとりができることってなんなんだろう?

エビータは100年あったらなんだってできるのに、と言いますが、
時間空間の制約の中で生きる人間である以上、限界が絶対にあります。

エビータは、マガルディが警告したような意味の狼や落とし穴の危険はサバイバルし、むしろ利用していきます。
でも、力を手にしたことで、愛されている・頼りにされている・感謝されている自分を手放せなくなる、という別の落とし穴には陥っていたと思うんです。
これもまた、人とのしての弱さ。

「共にいてアルゼンチーナ」すら、嘘っぽい気がしてしまったのですが、
私生児かつ女性であることで、それまでの人生で尊重されたことがなかったエビータが、初めて自分が完全に受け入れられた体験だった、と考えると、
たしかにそういう思いはあったんだろうな。

飯田さんのチェは、まだ後の革命家チェ ゲバラになる前の、
チェの若者らしい面が見える感じで新鮮。

「金は出ていく 湯水のように」の後、舞台に残っていた紙幣をチェが拾い、一瞬眺めてからくしゃっとにぎってポケットに入れたのは、
本当は「回収」(舞台に物が落ちていると危ないので)だったらしいのですが、
そういう演技なのかと思うくらいいい場面になっていました。

日本人的な視点で描くエビータ

浅利慶太氏写真カルッツかわさきロビーの浅利慶太氏追悼コーナー

私は1996年のマドンナ主演の映画と2018年の招聘<しょうへい/rt>公演は見ていませんが、
浅利版のエビータは、日本人的な情感を込めた視点、という要素が強いんだろうな、という思います。

今回の公演は2005年に、浅利慶太演出の決定版ととして上演されたバージョンで、自分は2006年くらいに観ているんですが、
その時の印象と比べてすごく洗練されていました。

昔聞いたときは昭和歌謡みたいだなあと感じた楽曲も、ロイド・ウェバーの多彩なメロディと、場面場面での主題の繰り返しなど、やはり巧みで、
北澤祐輔さんのインタビューで「音楽をやっている人ならこの作品の楽曲は歌いたいし、出演したい」という話があったのもあらためて納得できました。

描かれている年代が近いせいもありますが、「李香蘭」の演出とイメージが被り、
ああこういうの浅利さんっぽいよなあと思う場面が何箇所もありました。
また、加藤さんの振り付けのカラーも強い。
このあたりは好き嫌いが分かれるかもしれません。

浅利演出は、ファミリー作品でも『ジーザスクライストスーパースター』でも、セットや照明に独特の抽象性があるんですが、
『エビータ』もセット・照明回りはすごく素敵でした。

一方で左翼文字の看板だけが妙に安保闘争時代のようで、それこそちょっとカリカチュア的に感じてしまいました。
もしかしたら、意図的に日本国内のかつての「運動」に寄せているのかもしれませんが。

このバージョンでの今後の再演ってあるのかな、とふと考えます。

というのは、「ラ・アルプ」などに寄せられてる、自分より上の年齢の方の劇評と、
自分自身の感覚の差は、個人の感じ方の差でもあるけれど、
「貧しさ」「権力」に対する感覚の、世代差なんじゃないか?と思うから。

貧困も迫害も今ももちろんありますが、
いまや政治権力を握ることにそんなに夢って持てなくないですか?

浅利演出を、継承という保存的な意味をもって続けるか、
別な視点で再解釈した新版ができるのか、どちらになっていくんだろうな。

エビータが駆け抜けた33年の鮮烈な人生から、私は勇気も力も得たようには思いませんが、
ただ、悲しみとともに人というものへの愛おしさを胸いっぱいに感じました。


劇団四季『エビータ』浅利慶太追悼公演2019年8月29日キャスト

エビータ川崎公演キャスト
エビータ 鳥原ゆきみ マガルディ 高橋基史
チェ 飯田洋輔 ミストレス 藤原加奈子
ペロン 佐野正幸
男性アンサンブル 女性アンサンブル
川村 英 渡辺智佳
廣 哲臣 高岡育衣
石川敦貴 西浦歌織
下平尚輝 久居史子
内田 圭 伊藤瑛里子
鈴木涼太 清水智紗子
高橋祐樹 梅澤紗耶
村田慶介 坂本すみれ
新井 克 坂口珠乃
伊藤駿祐 榊山玲子
渕上数馬 島田 栞
宮下友希 坂本佳帆
二村誠俊 大石眞由
深堀拓也 古森麻由
若山展成 渡辺詞葉

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