劇団四季『はだかの王様』2019年度全国公演の初日、5月4日の座間公演の観劇感想をまとめました。
『はだかの王様』は、1964年に劇団四季で最初に上演されたファミリーミュージカルで、脚本は寺山修司。
私、あおなみ(@aonami491)が四季の舞台を継続して観るようになった2002年以降も、何度も上演されたタイミングはあったのですが、なんとなく、今まで観ないで来てしまいました。
筋を最後まで詳細に追う、という意味でのネタバレはしていませんが、感想はネタバレを含みます。
これから観劇予定の方はご注意ください。
2019年8月3日追加・修正
劇団四季四季の会会報誌「ラ・アルプ」8月号44ページ、45ページ「楽屋の窓から」で、アンサンブルが演じている役が、ボタン・リボン以外分かりましたので、キャスト表に追記しました。
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劇団四季『はだかの王様』2019年5月4日のキャスト
(スマホの場合は横スクロールで見られます)
アップリケ | 川口雄二 | ホック | 渡邊友紀 |
王様 | 牧野公昭 | 王妃パジャママ/フリルフリル/ 眼鏡屋ピンタック |
大橋伸予 |
王女サテン | 荒巻くるみ | 王女の恋人デニム | 鈴本 務 |
外務大臣モモヒキ | 神保幸由 | 内務大臣ステテコ | 鈴木 周 |
運動大臣アロハ | 酒井康樹 | ペテン師スリップ | 原口明子 |
ペテン師スリッパ | 新庄真一 | 衣装大臣チェック | 土肥麻由弥 |
男性アンサンブル | 女性アンサンブル | ||
頼 雅春(戦争大臣ブルーマー) | 田原真綾(お針子ヤヤ) | ||
塩地 仁(警視総監ファスナー) | 田原沙綾(お針子メメ) | ||
高見浩行(ブリーフ) | 海沼千明 | ||
坂元 駿 | 高橋えみ | ||
神田 駿 | 宇佐美 舞(ニュース大臣タイツ) | ||
帶津翔太 | 松岡ゆめ(お行儀大臣シルエット) | ||
塚田健人 | 平綿アンナ(大学教授ワンピース) | ||
- | 林 明梨(無任称大臣) | ||
- | 久田沙季 | ||
- | 山田祐里子 |
役名付きキャストはすべて、ダブル、トリプルキャストになっており、
アンサンブルも、初日に出演しなかった候補キャストの方がいます。
2019年度全国公演の、プログラム掲載候補キャスト全員については、下の記事をご覧ください。
ファミリー作品の公演プログラムには候補キャストの経歴が載らないので、分かった範囲で過去の出演作についても書いています。
>>劇団四季ファミリーミュージカル「はだかの王様」’19年度全国公演候補キャスト
劇団四季『はだかの王様』’19年5月4日座間公演感想
『はだかの王様』はアンデルセンの童話ではわりとシンプルなお話なのですが、劇団四季の舞台では、服の完成とともに王女が嫌いな相手と婚約しなければならない、という要素をプラスしたり、
進行役のアップリケ、ホックのやり取りを挟んだりして、お話を膨らませています。
ファミリー作品でありながらダーク要素が強い
全体的にはファミリーの王道の展開、ムードながら、寺山修司作品のアングラの遺伝子みたいなものを、同じ寺山修司脚本の「王様の耳はロバの耳」よりも感じました。
詐欺というテーマに含まれている、闇がそう感じさせるのかなあ。
詐欺の手口も騙される心理も、初演から数十年経っても変わらないどころか、アンデルセン童話から数えたら200年です。
有名人の名前を出されると信用してしまう(騙される側も裏ぐらいとれよ、とは思いますけどw)のもそうだし、
役立たずや飛び抜けたバカには見えない
という設定が秀逸(とは言わないか・・・)ですよね。
さて、このペテン師に振りまわれる人々の反応ですが、
まず、基本形(笑)は、王様や家臣たちのように、自分が役立たずでバカだと思われたくない、というパターン。
王様には、国のトップがバカだということになったら大変なことになる、という危惧があるし、
家臣たちは今の地位や暮らしを失いたくない、という危機感もあります。実際に「見えない布なんてあるわけねーだろ!」と言い放ってクビになったブルーマーの例を見ていますから。
お針子のヤヤとメメは、自分たちは役立たずな方で頭も良くないから、はなっから見えるわけないと思っている。それでも他の人は見えるというから、言われた通りに仕事をするだけ。
たた、彼女たちもピンタックの眼鏡を買う、ということは、見えたらいいな、という気持ちはやっぱりあるんですね。
「バカでも布が見えるメガネ」という便乗商法を登場させるのもすごい。いかにも騒動の最中にはピンタックのような人が出てきそうです。
しかも、「眼鏡をかけても見えなかったらその時はあきらめなさい」とちゃんと免責もしている(苦笑)。
アロハは最初は王様たちと同じように騙されていたのですが、ペテン師たちが逃げる時の会話を聞いて、見えない服が嘘であることを知ります。
しかし、「ここで王様に調子を合わせておけば王女サテンと結婚できる」と計算します。
なんかもう、世の中の詐欺事件のケースの見本市みたいです。
小学生くらいまでは、リアルにああいう形で騙そうとする人が身近にいることはないと思いたいです。
でも、そうだとすると実感はないから、登場人物たちの滑稽な姿が面白い、というかんじなのかな?
『はだかの王様』のテーマは「真実に向き合って本当のことを言う勇気」なんですが、
それってそんなに簡単なことじゃない、という描き方をしています。
一途に「僕は自分の目で見たことしか信じない」というホックに対して、
アップリケは、
「目に見えるものばかりが存在するわけじゃない。”幸せ”は目に見えないけれどあるだろう?」
と言います。
お針子のメメ、ヤヤは、メガネ屋ピンタックに、
「メガネは、せっかくぼんやりしていたものをはっきり見えて味気なくしてしまう」
と言います。
見える/見えない、存在する/しない、の区別は、はっきりしているようでそうではなく、社会の中で、見たまま感じたままを反射的に口に出すのがいつも良いわけでもない。
状況に応じた配慮をしにくく、言葉通りの解釈しかできない特性の人が苦労したりもするわけです。それに、幸せも愛も、目には見えないですよね。
観劇する前はなんとなく、ペテン師たちは捕まるのかな、と考えていましたが、そうじゃなかった。
個別の事件では、犯人が捕まったり、新たな規制ができたりしても、こういう形で「騙す」という行為自体はなくなることはなくて、でも「自分は」どうするかを考えていくことはできるよ、ということなのかな。
ペテン師たちが、服が見えるか見えないかが、その人の能力を示す、という仕掛けをしたように、
今のニセスピやニセ科学などでは、目覚めている人、心の綺麗な人には理解できる、とか言うんですよ。
そうしたレトリックに騙される心理や、騙されている同士で牽制しあってハマっていく様子の描写が、60年近く前に書かれた作品なのに「昔」という感じがしなくて、
人ってそうは変わらないんだな、と思いました。
個性=クセの強いキャラクターたち
同じ寺山修司作のファミリーミュージカル「王様の耳はロバの耳」では
主人公の床屋、王様と森の精たちには名前がなく、町の人々や王様の家臣たちには食べものなどの名前がついています。
『はだかの王様』では、名前がないのは王様だけで
他の登場人物には、サテン、デニムなど、洋服に関係した名前がついているんですね。
名前がなかったり、普通には人名だと認識しにくい一般名詞を名前として使うことで、
「どこにでもありうるお話」という寓話性が高くなっています。
一方で、登場人物たちの性格付けはクセが強く、どの役もすごく印象的なんですよね。
王様役の牧野さんはかつて「天井桟敷」にいた方で、昨年度の「王様の耳はロバの耳」でも王様役でしたが、
「ロバの耳」の頑なで高圧的な王様と、
とにかくオシャレが1番、わがままだけどなんとなく憎めない今回の王様ではかなり雰囲気が違います。
デザイナーフリルフリル、メガネ屋ピンタック、王妃パジャママ、は1人三役。
このところ、苦労していそうな役が多かった大橋伸予さんですが、今回はコミカルな演技。
フリルフリルと王妃は王様に振り回される点は同じですが、立場や身分の違いがあり、
ピンタックは世知にたけたしたたかな女性で、同じ人が演じていることを忘れそうでした。
アロハ役の酒井さんは、「恋におちたシェイクスピア」公演プログラムの経歴を見ると、ダンサーやシンガーというよりお芝居の方なのかな?
声が素敵なので、また普通のテンションの(?)役でも見てみたいです。
ばっかじゃねーの?とはっきり言い切って、クビになっても自分を曲げないブルーマー、かっこよかった!
そしてクビになったのに国境に迫っていた敵を倒して戻ってきたぞー!と現れた時は惚れました。
戦争になりそうだっていうのに戦争大臣をクビにしてどうなっちゃうんだ?がずっと気になっていたんです。
「嵐の中の子どもたち」ダンプ役では可愛かった頼さんは、ブルーマーではめっちゃ男前でした。
そして、クライマックスで「王様ははだかです」と言う、王女サテンの恋人デニム。
多くの人が、他の人が見えると言っているのだから自分がバカなのでは、と不安に陥る中、デニムは「僕には見えないし、僕の頭はちゃんとしているよ」と自分を信じています。
鈴本さんは昨年の「王様の耳はロバの耳」床屋役に続き、勇気を持って本当のことをいう青年役。
床屋も、デニムも、役の型としては好青年、という以外の要素があまりなくて、実はとっかかりが難しい役なんじゃないかと思いますが、鈴本さんはどちらの役も嫌味なく、親しみやすいキャラクターとして演じられています。
デニムは、床屋のような自分自身の大きな変化は起きたように見えないのですが、
身なりを気にしないために王様にダメ出しされていたデニムが、フィナーレでは、王女の婚約者にふさわしくフロックコートを着ているのは(普段着と同じウシ柄ですが 笑)、
デニムも構わなすぎるのではなく最低限のTPOに対応しているということで、それなりのバランスが取り戻されたことの象徴なのかも?
「はだか」の王様と、もう一人
最初に行ったように、私は今回が初観劇で、
まあ、『はだかの王様』という作品なんだから、王様はパンツ1枚とかなんだろうなあ、と思ったのですが、まさかのもう一人いました。しかもパンツじゃなかった・・・(笑)。
その配色もなかなかすごくて、やっぱりこれも寺山修司作品だからなのでしょうか。
婚約式直前のデニムとの会話で、サテンが「じゃあ私はあなたのために作ったウェディングドレスを着るわ」と言ったので、
あれ?と思いかえすと、
そういえば、ペテン師たちが請け負ったのは、
サテンとアロハの婚約者の舞踏会で、王様、王女サテン、アロハが着る服
でした。
寺山修司が書いた原作戯曲と四季版は、キャラクターの設定や、クライマックスからラストの展開が少し違い、
寺山版の方がより皮肉が効いています。
客席参加の場面がいっぱい
客席参加演出は、ここ15年くらいで上演されているファミリーのレパートリーの中では、おそくら1番多かったはず。
(対照的に、最新作の「カモメに飛ぶことを教えたネコ」では客席参加演出が全くありません。)
進行役のアップリケとホックが客席に話しかける場面も多く、
「幕を開ける歌」「王様ははだかだ」と、2曲も練習するし(「王様の耳はロバの耳」「魔法を捨てたマジョリン」は1曲)、「幕を閉める歌」もありました。
舞踏会に現れたデニムが「王様ははだかだ」といい、客席も一緒に歌うと、
王様・アロハが客席通路に降りてきて、「はだかじゃないよね?」と聞いてくるし、
休憩を除いて1時間45分の上演時間の半分くらいは客席参加なんじゃないでしょうか。
座間公演では、子供たちも、子供たちを連れてきたご家族もけっこうノリノリで、私も一緒に歌って楽しかったです。
クラシックバレエがたっぷり
ダンスは、予想していたよりずっとクラシックバレエで、男性アンサンブルも女性アンサンブルも、バレエ出身の方が多数。
数年前のキャストでは女性はともかく男性アンサンブルにはあんまりバレエダンサーさんがいなそうなんですが(踊れる方達ではありますが)、同じ振り付けでも印象違っただろうなあ。
高見さんは「アンデルセン」の時にすごくノーブルだなあと印象に残っていたので、今回もたくさん踊りが見られてよかった^_^
ペテン師スリップスリッパもバレエのコーダみたいな振りがあるし、
スリップとお針子たちの集団連続フェッテも見応えあるし、バレエ要素たっぷりで大満足。これで4,000円でいいのかしら、というくらい満足度が高かったです!
まとめ
『はだかの王様』はファミリーミュージカルですが、「詐欺」の描き方が自分にはけっこうインパクトがありました。
お話の中では、周りがそう言うからという理由で騙されるのですが、
現実の世の中には逆に、大勢が信じていること=陰謀だと信じ込んでいる人もいるんですよね。
「自分だけがバカだと思われたくない」「自分だけ損をしたくない」と恐れるのと、
「自分だけは賢い」という選民意識は、根っこはおなじなのかもしれません。
スリップ、スリッパはお金が目的ですからさっさと逃げますが、もし、彼らが煽動家だったら、
みんなが目に見えないからという理由で王様ははだかだ、というのは目覚めていないためだ、
とか言いそう。←それじゃ話が変わる(笑)。
ビジュアル面では、とにかく、バレエが楽しかったです。衣装係、お針子の「ザ・コールド」な衣装もよかったし、実はペテン師たちがダンスが多いのでびっくりしました。