こんにちは、劇団四季のレパートリーの中で、ファミリーミュージカルも大好きなあおなみ(@aonami491)です。
この記事では、劇団四季ミュージカル『はだかの王様』を見どころをまとめました。
地元の公民館で劇団四季の公演があるんだけれど、
ファミリーミュージカル『はだかの王様』ってどうなんだろう?
と思っている方が、もし、検索でこの記事に行きあたってくれていたら、
とおすすめしたいです。
絵本などでなじみのあるお話
寺山修司が書いた脚本のややダークなおもしろさ
進行役の呼びかけに答えたり、一緒に歌ったりする、客席参加型の演出が格段に多い
耳に残る親しみやすい音楽
クラシックバレエベースの振り付けが美しい
いっしょに歌ったり、呼びかけに答えたり、客席が参加する場面が多いので、小さなお子さんも楽しく観られると思いますし、
「作品」としても見どころ・考えさせれる点も多く、大人だけでも楽しめます。
歌とお芝居付きのバレエ、と思ってもいいくらい、ダンスはバレエ要素たっぷりですから、バレエを習っているお子さんにもおすすめです。
ファミリーミュージカルは何才から観られるの?どこで上演しているの?などについてはこちらにまとめました。
この記事は、公演プログラムに書かれているあらすじ以上のネタバレは含みません。
タップして飛べる目次
劇団四季ファミリーミュージカル『はだかの王様』ってどんな作品?
『はだかの王様』の初演は、1964年。現在「ファミリーミュージカル」とされている作品群の最初の作品です。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン作の童話『はだかの王様(皇帝の新しい服)』をもとに、寺山修司が脚本を書きました。
アンデルセンの童話は、こんなあらすじです。
あたらしいきれいな服を着るのが何よりも好きな王様のもとに、
ある日二人の嘘つきがやってきて、誰も見たことがないような素晴らしい服を作ってみせる、しかも、その服は役目にふさわしくないものやバカには見えない、と言いました。
王様は二人に服作りをさせることにします。
王様が途中経過を知ろうと仕事場に役人を送ると誰の目にも布は見えないのですが、自分が役立たずでバカだと思われたくないので、みんな王様に「素晴らしい服ができてきている」と報告します。
王様自身も仕事場に行きますが、やはり機織りの上には何もありません。
王様は自分が王様にふわしくないバカなのかとショックを受けて、見えるふりをします。
とうとう服が出来上がり、王様は本当は存在しない服一そろいを身に着けて町の人たちの前へ。
誰もが自分がバカだと思われたくないので、王様の服をほめたたえますが、
ある子供が「王様ははだかだ」と大声で言うと、次第に町の人たちみんなが「王様ははだかだ」と言うようになります。
しかし王様はいまさら行列をやめることはできず、はだかのまま、胸を張って進み続けます。
舞台を観たあと、アンデルセン童話の『はだかの王様』を改めて読んだのですが、
最初の数行の描写を、舞台では「王様は 世界一 〇〇をたくさん持っているから」という軽快な歌で、みごとに立体的な舞台表現にしているんですね。
私の手元にあるのはこちらの新潮文庫版。
劇団四季『はだかの王様』のあらすじ
昔、新しい服を着るのが大好きな王様がいました。何しろ、新しいお葬式の服を国民に披露するために、皿洗いが飼っていたネコのお葬式を盛大に執り行うほどのおしゃれ好きです。
王様の娘、王女サテンは牧場の青年デニムと結婚の約束をしています。しかし、王様は身なりに構わないデニムが気に入らず、派手でお調子者の運動大臣アロハとサテンの結婚を決めてしまいます。
王様が、王女サテンとアロハの婚約式の舞踏会に着る素晴らしい服を作ろうとあれこれデザインをさせていると、アロハがスリップとスリッパという2人組のデザイナーをつれてきます。
2人は全く重さを感じない、見たこともないような複雑な色合いの服を作る、と王様に申し出ます。
しかも、その服は、
役立たずや、飛び抜けたバカには見えない
と言うのです。
王様は2人に服作りを任せることにしました。
スリップスリッパは実は隣の国から逃げてきた詐欺師でした。
作業場ではお針子たちが連日忙しく機織り、仕立てをしていますが本当は布なんてありません。
しかし、サテンに様子を見に行かされた内務大臣ステテコ、外務大臣モモヒキは、お互いを牽制しあって「布は見えなかった」とは言えません。
王様自身も作業場を視察しますが、みんなの手前、なにも見えない、とは言えません。
そして、布なんかありゃしない、そんなことより敵が迫ってきて戦争になりそうだ、と本当のことを言った戦争大臣ブルーマーをクビにしてしまいます。
とうとう王様の服ができあがりました。
家臣たちも、王妃パジャママも、王様の新しい服を褒めそやします。
スリップスリッパは、王様からもらったお金を持って逃げてしまいます。アロハは、二人が嘘をついていたことに気づきますが、王様と一緒に見えない服を着れば、サテンと結婚できる、と考え、みんなにそのことを黙っています。
サテンは、とうとう大嫌いなアロハとの婚約することになってしまい、沈んでいますが、デニムは、王様にそんな服は本当はないことと、2人の結婚を認めてください、と話すよ、とサテンを励まします。
婚約式の当日、本当ははだかの王様とアロハ、本当はデニムのために作ったウエディングドレスを着たサテンを中心に、舞踏会が始まります。
そこへ駆け込んできたデニムは、「王様ははだかです、すぐに服を着て、舞踏会をやめてください」と言いますが。。。
また、ラストもアンデルセン童話と舞台とでは違うので、ぜひ観劇の前後に、アンデルセン童話も読んで比べてみてください。
劇団四季『はだかの王様』の登場人物
王様:あたらしいきれいな服を着るのが大好きな王様。服のこととなると他の大切な用事も放り出してしまう困った王様ですが、どこか憎めないキャラクター。
アップリケとホック:お芝居の進行役。自分の見たこと思ったことに一途で正直な子供ホックに対して、アップリケは違うものの見方をしたり、「大人の事情」を説明したりします。
ペテン師スリップとスリッパ:となりの国から逃げてきたペテン師二人組。巧みに人々の心理を突いて詐欺を行います。
王女サテン:デニム、という恋人がいるのに王様に大嫌いなアロハとの結婚を決められてしまいます。
デニム:牧場育ちの正直な青年。王様に「人柄は悪くないが身なりにかまわないところがダメだ」とサテンとの結婚を認めてもらえません。服が見えなくても「僕の頭はちゃんとしているし、王様に本当のことを言って目を覚ましてもらおう」とブレません。
運動大臣アロハ:お調子者でにぎやかな、派手好きの男。スリップとスリッパがペテン師であることに気が付きますが、王様に調子を合わせればサテンと結婚できる、と計算し・・・
外務大臣モモヒキ・内務大臣ステテコ:国の重職の大臣たちですが、服に夢中な王様に振り回されています。子供のころからの友達、という二人でも「自分だけがバカだと思われたくない」という見得は捨てられません。
衣装大臣チェック:いつも王様の服の色やデザインと、周囲との調和をチェックする大臣。
デザイナーフリルフリル:お葬式の服専門のデザイナー。
王妃パジャママ:バカだと思われたくなくて王様の見えない衣装をほめてしまいます。
眼鏡屋ピンタック:バカな人でもスリッパとスリップの作る布が見える眼鏡を売り込みます。
劇団四季『はだかの王様』のテーマ
テーマは、「真実から目を背けず、本当のことを言う勇気」。
本当のことを言う勇気というテーマは、同じ寺山修司が脚本を書いた「王様の耳はロバの耳」と重なるのですが、
「王様の耳はロバの耳」の場合、王様の耳はロバの耳であるという事実は明らかで、それを黙っているように強要されている、という状況であるのに対して、
『はだかの王様』は、意図的に他人を騙すペテン師が登場し、周囲の人たちも本当のことを言っているのか分からないという状況になった時に、
本当のことを見抜き、そしてどう行動するか、というお話になっています。
バカには見えない布なんてあるわけない、と思っても、
他の人たちがみんな「見える」と言ったら、それでも見えない自分を信じられるか、というと、やっぱり揺らいじゃいますよね。
物語はハッピーエンドで終わりますが、現実に「おかしい」と感じることに出会ったらどうしたらいいか?いろいろ考えさせられます。
劇団四季ミュージカル『はだかの王様』の見どころ
音楽やダンス、衣装、セットのイメージは、公式PVを見てみてください。
絵本などでおなじみのお話
『はだかの王様』は、アンデルセン童話の中でもメジャーで、たくさん、絵本も出ていますから、小学校入学前の子でも知っていることが多いんじゃないでしょうか。
さらに舞台では、アンデルセン童話の筋に、王女の結婚問題というエピソードを加え、童話には登場しないタイプのキャラクターが登場します。
- 自分には見えないし、総合的に考えて「バカには見えない布」なんてありえない、と騙されないデニム
- 騙されていたことに気づいても打算のために本当のことを言わないアロハ
- 便乗して「バカでも布が見える眼鏡」を売り込むピンタック
など。舞台はよりさまざまな角度から「嘘と本当」が描かれているんですね。
また、進行役のアップリケ、ホックは芝居の外側から、「見えないものが存在しないとは限らない」といった、ちょっと違った視点も語ります。
アンデルセン童話とは違い、「王様ははだかだ」とはっきり告げるのはデニム。(ともう一人)。
アンデルセン童話では、偶発的な出来事だったのに対して、はっきり「王様に気が付いてもらおう」という意図がある点が違い、それによってラストも違うものになっています。
寺山修司脚本のややダークなおもしろさ
前提として、劇団四季のファミリーミュージカル公演ですから、あくまでも健全なんですが、
私は「王様の耳はロバの耳」と比べると、よりダークさを感じました。
これは描かれているのが「詐欺」だからかもしれませんね。
「バカには見えない」という設定のおかげで、王様や家臣たちが
「自分には見えないけれど他の人には本当に見えているのかもしれない」
「本当だとしたら、自分だけが見えない、と言ったら損をする」
と疑心暗鬼になる様子は、第三者的に見ると滑稽だけれど、現実だったら自分だって騙されるかもしれないし、
作業場で、本当は何も織っていない機織り機が動き続け、お針子たちが働き続け、「チンカラトン、カタリントン」という歌が流れ続けて終わる1幕のラストは、
ウソでも言い続けているうちに本当になる、という感じでめちゃめちゃ怖かったです。
もちろん、「お話」としてコミカルに描かれていますし、
クライマックスから後は笑いのうちにフィナーレになるので子供にとって怖すぎるということはないと思います。
寺山修司が書いた戯曲のままだともっと風刺と皮肉がきつかったです。
(こちらの記事はネタばれです)
客席参加型の演出が格段に多い
『はだかの王様』は客席参加の演出がめちゃくちゃ多いです。
たぶん、ここ15年で上演されているファミリーのレパートリーの中では最多。
2019年初演の最新のファミリーミュージカル「カモメに飛ぶことを教えたネコ」は、客席参加型演出がありません。古い作品でも「ガンバの大冒険」「嵐の中の子どもたち」にはないですね。
まず進行役のアップリケとホックが登場し、幕を開ける歌の練習をします。
ちなみに、『はだかの王様』では幕を閉める歌もあります。
幕を閉める歌は、「王様の耳はロバの耳」でも戯曲にはありますが、現在舞台では歌われていません。
進行役のアップリケとホックが客席に話しかける場面も多く、
2幕では「王様ははだかだ」の歌の練習もあるし、
クライマックスでは、王様に、本当は何も着ていないことを教えようとするデニム、サテン、ブルーマーと、「いや、着ている」と主張する王様・アロハがそれぞれ客席に訴えかけて、
観客はデニム達と一緒に「王様ははだかだ」を歌って応援します。
休憩を除いて1時間45分の上演時間の半分くらいは客席参加なんじゃないか?くらい多いです。
練習では役者さんは褒め上手・乗せ上手なので、小さいお子さんも楽しめますし、大人も子供たちと一緒に歌うのは結構楽しいんですよね。座間公演では、お子さんより大きな声で歌っているパパもいました。自分も子供の頃観たのかもしれません。
フィナーレの後は、他のファミリー作品と同じく、出演者全員がロビーでお見送りしてくれます。
凝った衣装を近くで見るチャンスですし、ハイタッチや、ちょっとした会話はできるので、ぜひ、感想を伝えてみてください。
2020年2月3日より新型コロナウイルス感染拡大防止のためロビーでのお見送りが当面中止となりました。
>>劇団四季公式サイトのお知らせ
お見送りではロビーでの写真、動画撮影は禁止です。
耳に残る親しみやすい音楽
一緒に歌う練習をする2曲(歌詞カードも配布されます)以外の曲も、
王様の毎日を描いた1幕、2幕最初の歌や、機織りの歌など、
繰り返しが効果的に使われていて覚えやすい曲が多いです。
帰るときにはどれかを口ずさんでいること間違いなし。
クラシックバレエベースの振り付けが美しい
私は2019年5月4日の座間公演が初見なのですが、ダンスは創造していた以上にバレエでした。
「王様の耳はロバの耳」も、森の精たちの踊りはバレエでしたが、『はだかの王様』では踊る場面はほぼ全部バレエなんじゃないですかね。
特に女性アンサンブルが演じる衣装係たち、お針子たちは、トゥシューズこそ履いていませんが、コールドバレエのよさが引き立ちますし、
男性アンサンブルも、Kバレエ、牧阿佐美、NBAなどのバレエ団出身の方が多く、男性ならではのダンス飲みごたえもあります。
スリップ、スリッパも、バレエのコーダのような場面があり、悪役らしいかっこよさで素敵でしたよ。
まとめ
『はだかの王様』は昭和30年代初演の作品ですが、思っていた以上に古さを感じさせませんでした。
衣装やダンスなどの見た目、音楽のテンポなどは時代に合わせてすこしずつ変えていっているのではないかと思います。
10数年前のキャスト表を見ると、男性アンサンブルが現在の7名よりも少なく、5名で、今は男性アンサンブルにダンサーを増やしてダンスの場面をより厚くしているようです。
セリフも、一か所、「一心太助」みたいな「・・・なんでえ、・・・でさあ」という語尾がちょっと気になるかな?と感じたくらい。
上にも書きましたが、舞台はハッピーエンドで終わるけれど、他者を騙して利を得ようとするものや、騙すことそのものが目的のように思えるようなものなど、は今も、今後も存在し続けるでしょうし、実は結構重たいテーマなのかもしれません。
舞台、という安全な場でそれに触れて考えるきっかけを持てる、というのもいいんじゃないかと思います。