キャッツ

実写映画『キャッツ』の感想と舞台との違いをこれから劇団四季版を観る人向けにざっくりまとめてみた

キャッツ映画感想と舞台との違い

実写映画『キャッツを』2020年2月24日の公開初日に見ました。
映画公開初日に見たのなんて人生初めて。

このブログ記事は、

自分の感想と、

映画を最初に見て、
これから劇団四季の『キャッツ』を観ようかな、あるいは観る予定があって、
映画と舞台の違いを大筋、抑えておきたい、
という人向けにまとめています。

トリビア的な知識はあんまり知らないんで、あくまでもざっくり。

私は、劇団四季の『キャッツ』を2002年から通算200回以上観ています。
四季のレパートリーの中で『キャッツ』は何番目に好き、の順番からは別扱いで神棚にあげてるラベルに大切な作品です。

海外の『キャッツ』は、

  • 海外の舞台を映像化したもの(DVDとブルーレイになっています)
  • ロンドン公演(2000年)
  • 最近のツアー公演等の動画

などを見ています。

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あおなみ
あおなみ
今回の映画を見るにあたり、四季の舞台とのイメージ違いを理由に否定的に見ることはしないようにとは意識はしたつもり、です。

映画『キャッツ』の自分の感想

『キャッツ』の原作はストーリーのない詩集です。

舞台版ははっきりしたストーリーがない、ブックレスミュージカルで、
演じる側も観客も自由な解釈を求められる作品。

映画ではヴィクトリアをメインキャラクターとしたストーリーで、
各キャラクターの設定や行動の動機に、かなり具体的な解釈を当てはめている点が、
自分にとっては、アナザーストーリーとして、SNSやPixiv上で二次創作のマンガや小説を読む感覚でした。

舞台の『キャッツ』は、

詩を読む、
竜安寺の石庭を見る、
ピカソの絵を見る、

ように、自分なりの世界を感じ、読み解く作品、と私は捉えています。

細かな設定は脚本にも書かれておらず演じる人の解釈に任せられている部分も多いそうで、
出演者の組み合わせが変われば、猫同士の関係性も変わって見えます。

映画が初めての『キャッツ』だと、分かりにくいと感じたかもしれないけれど、
もともと、因果関係や説明で「分かる」作品じゃないのです
むしろ、先に舞台を観る方をお勧めしたいくらいで、
もし映画を先に見て「なんか分からない」と思っても、それで『キャッツ』というコンテンツをつまらないと思うのは、ちょっともったいない。

映画『キャッツ』を見た翌日と翌々日にかけて、たまたま読んだ、
『ドラえもん』のSS
地の文が一切なく、『ドラえもん』に対する読者の共通記憶で補完されるように書かれています。
作者はアメリカで脳の研究をしている方だそう。

映画『キャッツ』は、舞台を観たことがある人は舞台で得た認識をもとに、舞台とは別視点の作品として、SS(二次創作)的に楽しめますが、
完全に独立した作品としてはどうなのか?には私はやや懐疑的。
自分は3桁回数舞台を観てるため、映画=初めての『キャッツ』という人の見え方を実感のしようがないんですが。

舞台は映画よりさらに、いっそ潔いくらい説明がなく、セリフもない歌のみであるため、
むしろ感じ取りやすいんじゃないかなあ。

マンガもアニメもゼロから説明セリフや字幕で説明されないと先に進めない、という方にはお勧めしにくく、
四季のレパートリーの中でも『アラジン』などと比べて、『キャッツ』は、合う合わないがはっきり分かれる作品ではあります。
それでも、ちょっとでも興味があれば、ぜひ、舞台には触れていただきたい。

以下、ビジュアル、音楽、キャラクター設定などについて、映画と舞台の違いを書いていきますが、
映画に関してはネタバレしていますので、映画をまだ見ていない、という人はご注意を。


映画『キャッツ』のストーリー

イギリス、ロンドンの繁華街にある、
ミルクホール「エジプシャンキャット」近くのごみ捨て場に、1台の車に乗ってきた人間が、猫を入れた袋を投げ捨てて行く。
袋から現れたのはまだ少女のような若いメス猫、ヴィクトリア。

兄貴肌のマンカストラップと、気が弱いけれど優しいマジシャン猫のミストフェリーズは
ヴィクトリアをミルクホールの中にいざなう。

今日は年に一度の舞踏会、
長老猫オールドデュトロノミーが天上に上り生まれ変わる猫を選び出す満月の夜。

選ばれたい猫たちは、それぞれの生き方を歌い踊るが、
不思議な力を持つ猫マキャヴィティは、自分が選ばれるために
ライバルになる猫たちを密かにさらってしまう。

グリザベラはかつてマキャヴィティと組み、劇場のスター猫だったが、今はだれからも顧みられない孤独の中に生きている。
ヴィクトリアはグリザベラに、私には思い出も居場所もない、あなたには支えになる過去の思い出がある、と語りかける。

マキャヴィティはついにオールドデュトロノミー自身をさらい、自分を選ぶよう強制するが、
ミストフェリーズがマジックでオールドデュトロノミーを取り戻す。

いよいよ、ジェリクルの選択の時、
ヴィクトリアは外から様子をうかがっていたグリザベラを招き入れ、
自分の思いを歌ったグリザベラは、天井に上る猫に選ばれ、猫たちに見送られて空高く昇っていく。
グリザベラに便乗して天上にいこうとしたマキャヴィティは高い建物の尖塔に落ちる。

夜が明け、猫たちが去った後、広場のライオン像の上に残ったヴィクトリアとオールドデュトロノミー。

デュトロノミーはヴィクトリアに、「あなたは、正真正銘のジェリクルキャッツ」と告げる。

最初に書いたように、
舞台版のキャッツは、はっきりしたストーリーがありません。

天上に上るただ1匹のジェリクルキャッツが選ばれる舞踏会の夜、
リーダー猫マンカストラップの「いろいろな生き方の猫をお目にかけよう」という言葉に始まり、

おばさん猫ジェニエニドッツ、ワイルドでセクシーなラム・タム・タガー、グルメで政治好きのバストファー・ジョーンズなどが次々に登場し、
その合間合間に、みんなから忌み嫌われるグリザベラと犯罪王と怖れられるマキャヴィティが現れる、
と大まかな設定は映画と同じなんですが、
ストーリーではなく、キャラクターのいきざまを曲ごとに描くことで成り立っています。

一方で、映画では、グリザベラが天上に上り生まれ変わる運命に選ばれる、という結末に向かっていく流れと絡み合うように、

人間に捨てられたヴィクトリア、というヒロインが、
最初はマンカストラップやミストフェリーズに助けられ、

やがて、ミストフェリーズを励ましたり、グリザベラに手を差しのべたり、と、周囲に影響を及ぼす存在感を示し、
ラストは、ヴィクトリアがジェリクルキャッツとしてこの地上で新しい人生を歩み始める、というストーリーがあります。

また、映画のマキャヴィティには自分が生まれ変わる猫に選ばれたい、という動機がはっきりありますが、舞台では、マキャヴィティの目的は不明。
舞台でも長老オールドデュトロノミーはマキャヴィティによってさらわれますが、
ジェニエニドッツ、バスファー・ジョーンズ、スキンブルシャンクスがさらわれる、というエピソードはありません。

『キャッツ』映画、四季版の猫のビジュアルについて

実写映画のビジュアルは、アメリカで公開された時から、賛否両論でした。

私自身も、キャットウーマンをちょっとモフモフにしたようなボディに、完全に人間の顔、という猫の姿には正直、違和感はあります。

海外の舞台版も四季版と同じようなメイクをしているんだし、
映画ももっと猫に寄せたメイクにするか、
いっそ、アニメにして、猫耳+しっぽのキャラで、ダンサーの踊りは、モーションキャプチャーで反映した方がすんなり受け入れられたのでは。

欧米の人は体に厚みがあるので、
短い毛足の全身タイツボディ姿が妙に肉感的で、
アメリカの批評のように冒涜的とまでは思わなかったけれど、
ぶっちゃければ、不必要に人外的な気味悪さは感じました。

それと、毛皮の柄がみんな白とびしたみたいな色なんですよね。
バストファ―さんやミストのような黒猫以外は、みんな同じっぽく見える。
マンカストラップなんかもっとはっきりした白黒縞柄がいいと思うなあ。

それでも、猫のビジュアルが致命的にダメか、というと
個人的にはそんなに苦手ではなかったです。
ダンスやアクロバットはすごいですし。

個人的にはあかんかったのはジェニエニドッツの場面のネズミとゴキ。
人の顔をしたネズミとゴキはティム・バートン映画っぽく、猫以上に不気味です。

あの場面、劇団四季の舞台では、ネズミもゴキも、猫たちがジェニエニドッツを盛り立てるためにかぶり物をして演じる、という体なので、気持ちわるくないです。大丈夫です。

劇団四季版のビジュアルはPVからどうぞ。

映画と舞台の『キャッツ』音楽とシーン

映画のほとんどの曲は劇団四季で現在上演しているバージョンと同じですが、

劇中、ヴィクトリアが歌い、エンディングではテイラー・スウィフトが歌う
“Beautiful Goast”はこの映画のための新曲です。

マンゴジェリーとランペルティーザの曲は、ロンドン初演当時のマイナー調の曲を使っていました。
日本でも、前回の大阪公演まではこの曲だったのですが、
今の劇団四季版では、海外の舞台と同じ、メジャー調の曲に変わりました。

2018年東京公演から復活したグレートランパスキャットのシーンは映画ではまるまるカット。

劇団四季版では、劇場猫ガスの昔の当たり役は「海賊猫グロールタイガー」。
ガスの昔語りの歌の後に、劇中劇「グロールタイガーの最期」に続き、
イタリアオペラのオマージュの曲があるのですが、そのシーンはカット。

映画ではガスの昔の当たり役は「荒野の悪魔ファイヤーフィアフィドル」で、
グロールタイガーはマキャヴィティの手下、となっています。

「ミストフェリーズ〜マジック猫」は、舞台では(四季だけでなく他の国でも)ラム・タム・タガーがミストを紹介する体で歌いますが、
映画ではミスト自身と、マンカトラップとヴィクトリアが歌っています。

グリザベラとともに、「メモリー」を歌うのは
映画ではヴィクトリア、
四季の舞台ではシラバブ、イギリス・アメリカの舞台ではジェミマです。

映画と舞台の『キャッツ』のダンス

映画『キャッツ』のダンスは、海外の舞台とも四季の舞台とも振り付けが違います。
猫であることを表す動きのコンセプトが、各国の舞台版とは違うように感じました。

ヴィクトリアのフランチェスカ・ヘイフォード、スキンブルシャンクスのスティーブン・マックレーはじめ、ダンスは素晴らしいです。

映画と四季版の『キャッツ』場所設定の違い

映画ではロンドンの繁華街のミルクホールとゴミ捨て場を主に、

ピカデリーサーカス、トラファルガースクエアなどの実在のロンドンの場所も出てきます。

四季の舞台では、
「都会の夜のゴミ捨て場」という設定の場所のみで、劇中劇以外は転換がありません。
ゴミ捨て場の場所は海外製の食品パッケージなどに混ざり、その時上演している場所のご当地ゴミが多く置かれていて、
ロンドンとは限らず、
観る人にとって
身近な場所に感じられるようになっています。

映画と四季版の『キャッツ』キャラクター

ヴィクトリア(演:フランチェスカ・ヘイフォード)
映画:白にベージュのヒョウ柄、首輪無し
四季版:純白で、きれいなかざりのついた首輪

四季版のヴィクトリアはダンスでいくつか見せ場はあるのですが、映画のようなはっきりした設定がありません。
四季の舞台でグリザベラに手を差し伸べるのは、最も幼い猫、シラバブ(クリーム色の仔猫)です。

舞台では今を生きる喜び・命の輝き、を象徴するソロダンス(ハインデルの”Victolia the white cats”に描かれています)があるヴィクトリアは、
ある意味ではジェリクルキャッツを象徴する猫であり、映画のヒロインとしたのもそのためなのだろうと思います。
映画ではソロではなく、マンカストラップと組んだ踊りになっていました。あの時点でヴィクトリアは自分をジェリクルだと思っていないので、舞台とはかなり踊りの意味も違います。

マンカストラップ(演:ロビー・フェアチャイルド)
映画:白とグレーの縞柄
四季版:映画よりもはっきりした白黒縞柄

兄貴分の猫、という設定は映画も四季版も共通ですが、
四季版の方が、仲間を守って外敵に対している立場がはっきりしています。
逆に、ヴィクトリアとの絡みはそれほど多くないです。

グリザベラ(演:ジェニファー・ハドソン)
映画ではショートカット、
各国の舞台ではロングヘア、という違いはありますが、
かつては美しかったと思われるボロボロのコートを羽織っている、というコンセプトは同じ。

映画版では、昔は劇場のスターだった、との説明がありますが、
舞台では娼婦だった、とされています。また、マキャヴィティと関係があったという設定は舞台にはありません。

オールドデュトロノミー(演:ジュディ・デンチ)
原作の詩でも、劇団四季を含む世界各国の舞台版でも、オールドデュトロノミーはオス猫です。

映画で女性役になったのは
ジュディ・デンチをキャスティングしたかった、ということなのだろうと思います。

見た目は、舞台(世界各国)版ではモップみたいですが、
映画ではゴージャスなファーコート、という感じでした。

バストファー・ジョーンズ(演:ジェームズ・コーデン)
映画版も四季版も太った白黒ハチ割れ柄の猫で、白のスパッツを履いて黒いコートを着ている。
映画版ではバストファー・ジョーンズに似た見た目で一回り小さい、彼の執事のような猫もいますね。
バストファー・ジョーンズさんの白い口髭のような毛でおおわれている顔と、耳の形は一番猫らしく見えました。

四季版では、バストファー・ジョーンズ、ガス=グロールタイガーを同じ俳優さんが演じています。

ミストフェリーズ(演:ローリー・デヴィンドソン)
細かいデザインの違いはありますが、映画も四季版も黒ベースで顔が白い猫です。

四季版でもミストはマジシャン猫ですが、気が弱い、という設定は特にありません。
オールドデュトロノミーを取り戻す場面は、
舞台では特にダンス力の高いダンサーが配役されるミストフェリーズ役の、一番の見せ場ですが、
映画ではあの場面でほとんど踊らなかったのが意外でした。
そういえば、映画のミストは全体的にソロのダンスは少なかった印象。

四季のミスト役の俳優さんのインタビューで
長老を取り戻す場面のソロナンバーでは、
「みんなの希望の光になるように、祈りと誇りをもって踊る」、と聞いたことがあるのですが、

映画で、ミストフェリーズがマジックでオールドデュトロノミーを取り戻そうをする場面は別の表し方でその思いが出てますよね。

スキンブルシャンクス(演:スティーブン・マックレー)
映画でも四季の舞台でも黄トラの猫。
映画版の歌詞では目の色は緑、四季版では青。
映画では鉄道員の帽子と赤いパンツ、
四季版では黒のベストとひざ下のゲートル(?)、首元のベル、公演地の鉄道会社の制帽を身につけています。

スキンブルシャンクスは鉄道猫。鉄道と、寝台列車での仕事が大好きな猫です。
映画版のスキンブルシャンクスのダンスはタップですが、
四季版ではタップダンスではなく、粗大ごみを持ち寄って猫たちが蒸気機関車をくみ上げるのが見せ場になっています。

スティーブン・マックレーが映画に出演する、と聞いた時、私は最初ミストフェリーズ役なのかと思ったんですよね・・・

年齢設定は映画版と海外の舞台は中年っぽく、四季版では最近はどちらかというと若い猫になっています。

ラム・タム・タガー(演:ジェイソン・デルーロ)
映画:ダークグレーの毛並みにたてがみのようなファー、派手な首輪。
四季版:黒ベースで一部に金色のヒョウ柄、たてがみのようなファー、派手な首輪。

タガーは自由奔放なあまのじゃく。メス猫に人気がある。

映画のタガーはソロナンバーがあるわりに、もうひとつ存在感が薄いように感じました。
四季版では、気ままにふるまっているようでも、
オールドデュトロノミー探しでミストフェリーズに頼もう、と提案するのは彼ですし、
スキンブルシャンクスの場面でも参加していています。

ジェニエニドッツ(演:レベル・ウィルソン)
映画:オレンジっぽい縞柄から、1枚毛皮を脱ぐとハデな舞台衣装に。
四季版:ペルシャ絨毯地の熱いコートを脱ぐとオレンジっぽい縞柄に。

太った体形のせいか、映画の猫の中でジェニエニドッツが一番ナマナマしく見えました。
四季版でもジェニエニドッツはおばさんですが、実年齢では若くてスタイルがよい俳優さんが演じることが多く、おなかに何かいれて多少おばちゃんっぽくしているみたいです。

映画では「こんなところ、もんうんざり」だから天上に行きたい、と言いますが、
四季の舞台では、みんなに慕われる面倒見の良いおばさんが生まれ変わりたくなる理由は見当たらないように思えます…

ガス=アスパラガス(演:イアン・マッケラン)
かつて大スターだった、年老いた猫。
上にも書きましたが、
ガス往年の当たり役が、映画と四季版では違っており、
映画では荒野の悪魔ファイヤーフィアフィドル、四季版では海賊猫グロールタイガーです。
映画では.ミストが「大ファンなんです」とガスに声をかけますが、舞台にはない設定です。

四季版では、老いたガスに寄り添っている若いメス猫ジェリーロラムが、劇中劇「グロールタイガーの最期」で、悪女グリドルボーンを演じています。

マキャヴィティ(演:イドリス・エルバ)
映画では帽子とコートのダンディの装い、大柄で男性的な、一見魅力的に見えるタイプ。
最後は「蜘蛛の糸」みたいなことになっていましたね。
ineffable、の一言で他の猫をさらうことも、自分が瞬間移動することも思いのままでしたが、
最後の場面ではその魔力が効かなくなっていました。

四季版は、普段はクリーム色っぽい毛皮の猫で他の猫たちとも仲良く、一緒に踊っています。
大柄な役者さんが演じることが多いです。
犯罪王としての姿はおよそ猫ではありません。説明が難しいので劇場で見てください(笑)。

四季版では、マキャヴィティが自分が天上に上る猫に選ばれるために暗躍する、という設定はうかがえません(ないのかどうかは不明)。演じている役者さんにもよりますが、愉快犯的に見えます。
グリザベラを天井に送り出す場面で、黄色い普通の猫としてその場にいるマキャヴィティは、ある大切な役割を担っています。

ボンバルリーナ(演:テイラー・スウィフト)
映画:ベージュの縞柄
四季版:赤が強く出ている、黒・白3色ミックス柄

四季版ではボンバルリーナはディミータとともに「マキャヴィティ~犯罪王」という歌を歌いますが、
映画版のようにマキャビティの協力者ではなく、マタタビでみんなをトリップさせたりはしません。

マンゴジェリー(演:ダニー・コリンズ)、ランペルティーザ(演:ニーヴ・モーガン)
映画:三毛のような白黒茶で顔が白い、二匹とも似たような柄。
四季版:マンゴジェリーは朱赤、黒、白の交じり柄、ランペルティーザは黄、黒、白の交じり柄。
「マンゴジェリーとランベルティーザ」のナンバー中のみ、二匹ともトラ柄のベスト、アームウォーマー、レッグカバーをつけています。

映画では逃げ遅れたヴィクトリアを置きざりにしたり、マキャヴィティの計画に利用されたりする小悪党、という立ち位置ですが、
四季版では泥棒ではあってもマンゴジェリーは気のいいあんちゃん、ランペルティーザは背伸びしたいおしゃまな少女、というイメージです。

四季版『キャッツ』の、1匹ずつの猫の紹介はこちらからどうぞ。マキャヴィティ以外は現在のバージョンとそんなに変わらないです。

劇団四季キャッツ 猫紹介 メス猫
【劇団四季キャッツの猫たち】メス猫まとめ劇団四季のミュージカル『キャッツ』に登場する猫の紹介と、 2002年『キャッツ』大阪公演での、夏休み企画で配布されたトレーディングカー...
劇団四季キャッツ 猫紹介 オス猫
【劇団四季キャッツの猫たち】オス猫まとめ劇団四季のミュージカル『キャッツ』に登場する猫の紹介と、 2002年『キャッツ』大阪公演での、夏休み企画で配布されたトレーディングカー...

最後に

『キャッツ』のテーマの一つ、救済と再生は、キリスト教文化の中で生きていないとピンとこないところがあります。
四季版は、キリスト教色は薄くして日本人の心情に寄せている感じなのですが、
映画はやはりバリバリ欧米の感覚だなと思いました。

一方で、映画では、今世の命を離れて天上に上ったグリザベラと対比して、
地上で新しい人(猫)生を歩み始めるヴィクトリアを配していて、
自分は、その点は共感しやすかったです。

舞台では、ソロナンバーのない猫も、アンサンブルやモブではありません。
映画でもエンディングクレジットを見ると、タンブルブルータス、カッサンドラ、などの、舞台でおなじみの猫の名前もあったのですが、
公式サイトでキャラクターとして紹介された猫以外、だれがだれだか分かるような後世に名はなっていませんでした。
いわゆるアンサンブルにあたる、役名のない猫もいたんじゃないかな。

舞台では、登場する猫にはすべて名前があり、
ソロナンバーを持っていなくても、1匹1匹が、「年に1度の舞踏会の夜」の前の時間、その後の時間を持っている唯一の存在であることが映画より強く出ています。

映画は、ヴィクトリアの(四季のヴィクトリアとは設定が違いますが)視点から見た物語だったけれど、
舞台では、また違う猫の視点から見ることもできるので、それを体験してほしいです。


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